HISTORY

1990

「ポインティーノーズ&ラウンドテール」というクラシックなアウトラインに完成度の高い「フラットキャンバー」を合わせ持ち、パウダーライディングと圧雪バーン双方で、高いカービング性能を併せ持ったハイブリッドスノーサーフボード、初代TT-modelをmoss snowboardsより発表。

1993

アラスカ、ヴァルディーズの山々をファーストデセントしながら「フラットキャンバー」を完成させた前期最終型TTmodelを発表。キックテール部分のロッカーを抑え、「フラットキャンバー」ながらライダーが雪上でボードの上に立った場合に自然と「コンティニュアスロッカー」となると言う概念と、サイドカーブRを大きくとったハイスピード仕様。時代はスケートブームに乗りニュースクール世代が台頭。スノーボードバブル全盛期へと突入する。

1998

新型TTmodelをフラッグシップモデルにたて、GENTEMSTICK ブランド設立。

後ろ足付近がキャンバーの頂点となるS字を書く様なボトムライン「アクセルキャンバー」とフィッシュテールのより深くないスリットでテールのトーションコントロールに優れたテールデザイン「ダブルピンテール」を世界に先駆けて開発。2010年現在各大手メーカーが競って開発中である新型キャンバーシステムとなっている。業界のバブル崩壊が始まる。

2001

「アクセルキャンバー」「ダブルピンテール」を搭載したモデル「SPEEDMASTER」発表

2004

「浮力とドリフトターンで深雪や自然地形を楽しむ新しい概念」とそれに基づくデザインとプロポーション、大きな浮力を得るための「ビッグノーズ」ストール性とコントロール性を高めた「ハーフムーンテール」を持つモデル「MANTARAY」発表

2006

エコロジー素材であり柔軟なフレックス特性を持つ竹素材を使用したシリーズ「TTSS ( TARO TAMAI SNOWSURF DESIGN )」ブランドスタート。浮力を得るための巨大ノーズと深いスリッドのビッグ フィッシュテールを持つ深雪専用と思われがちなフォルムながら、グルームランにおいて素晴らしいカービング能力を持ち合わすハイブリッドボード「ROCKET FISH」発表

2010

GENTEMSTICK がこの30年で蓄えてきたノウハウは、途絶えていたスノーサーフィン の歴史の中でもアンダーグランドに脈々と受け継がれてきた。 スキーともスケートボードスタイルとも違った伝統的且つもっとアグレッシブなライディングのための超ショートボード達がラインナップするブランド「THE SNOWSURF」発表

GENTEMSTICK が採用するデザインには玉井太朗のオリジナルデザインに加え、古典的アイデアが随所に取り込まれています。 長い間誰もが忘れ去っており、過去の遺物として見向きもしなかったデザインを長年に渡って洗練させて来たのです。 私たちはそれらをmodern classicと呼んでおり、スノーボードの最も基本的で伝統的な設計思想としてこれからも磨き続けて行くのです。

1970年代ドミトリアミロビッチDimtrije Milovich が作り上げた「WINTERSTICK」は、フレックスフィン、大きく2つに分かれているビッグフィッシュテール、「最低30センチ以上の深雪が必要」とうたわれていたカタログ等々、その全てが新しく印象的であった。何よりも心を揺さぶるデッキデザインとロゴの配置。自然地形の深雪を舞台にマニューバーを描く道具として登場し、それまで、ソリの上に立ち上がって乗るだけの原始的な遊びを、核心を突くデザインによって、滑りの質までも驚異的進化させたのである。 70年代後半から80年代前半にかけ、田沼進三Shinzo Tanumaの手によってこの流れを受け継ぐ、グラスファイバー製の「moss snowstick」雪上サーフボードは、類を見ない独特な構造で、「WS」のpowder onlyの考え方から全雪質に対応するようデザインされ、より鋭角で完璧なカーヴィングで壁を昇って行くマニューバを実現する。

当時、世界中で多くのメーカーが生まれたが、そのほとんどはスケートボードの視覚的イメージを持ったものに過ぎなく、ライディングイメージに至っては直線とドリフトターンだけのレベルであった中、この2つのボードは特別な存在であった。 80年代も後半に差し掛かる頃、スキー産業の参入で現在のボードの原型となるスキー型のボードが登場し、サーフィンやスケートボードをイメージしない人々に普及するためにブランドロゴが大きく張り出され、派手なプロモーションが展開されて行く。日に日にスノーボードへ注目が集まって行った。

「WINTERSTICK」「snowstick」という純粋で核心をなしていたこれらのスノーサーフボードは時代の波に翻弄され、黙々と裏山を滑っていた者達と共にアンダーグランドな世界へと沈んで行くのであった。 90年代以降、一大ブームが巻き起こり、大企業やオリンピックコミッティーと言った、スポーツビジネス界がスノーボードの運命をコントロールする頃には、そうしたレジェンド達の存在は忘れ去られ、Chuck Barfoot, Tom Simsと言った一時代を築いたブランドは名前さえ残っていない有様である。 玉井太朗は90年から93年の3シーズンにかけ初期のTTモデルの生産を試みたが、200本を発売後、休止。 大ブームに沸くスノーボード界をよそに、ニセコをベースにアラスカヴァルディーズの開拓や、中央アジアの奥地、南米の高山へパウダーと最高の地形を求め、インド洋、北大西洋、中南米の海岸地帯へとソリッドなうねりを求めてサバイバルに出るのであった。

98年10月、特異なフォルムのボード、89年デザインのTT-model 20本生産を皮切りにGENTEMSTICKがスタートする。

コンセプトは “まるで空を飛ぶ鳥や流れに身を委ねる魚達の様に、奥深い大自然に抱かれ、雪と風が織りなす奇跡の地形に同化する最高のボード作り、そして人々に本質を伝え、魂の無い工業製品化されて行くボード、単なるスポーツに落ちぶれて行くスタイルから、魂を救い出しスノーボーディングと言う失われたアートを甦えらせる事” である。 2006年、GENTEMSTICK ショールームがニセコにオープンすると、世界中からスノーサーファー、サーファーが訪れる。

この10年の間に独特なアウトラインを持った多くのボードが誕生しているが、ほとんどのデザインは80年代中盤から90年代初頭にスケッチされている。例えばspeedmaster172doubble pin tailのスケッチには「double pin tail 1991.05 at lagundry bay taro tamai begin_of_the_skype_highlighting end_of_the_skype_highlighting」と記されている。